最後には全部、帳尻が合う。

 帳尻って辞書で調べると、収支決算の結果とか物事のつじつまとか書いてあるのですが、最近思うことに、人の人生というのは、すべてが終わったとき損益計算が±0になってるんじゃないかな?ということです。
 
 そんなことを考えると、先進国の人には嫌なことでも、発展途上国にしては贅沢な悩みなんじゃないかと思うことは少なくないですが、結局のところ損益計算でいう額が違うだけで結局は同じ±0になっているのでは無いでしょうか。鋼の錬金術師の漫画なんかにでてくる等価交換は、人生において

嫌なことの後には良いことがあり、良いことの後に嫌なことがある。
努力の先には努力に相応するだけの結果が待っていて、それ以上の結果やそれ以下の結果は無い。

という形で成り立っているのでは無いか、ということです。なので、私は「奴は
うまくやってるのに、何で自分だけ。」とか、他人がうまくやっているのを見て嫉妬したりはしません。
 
 入試試験などにおいても、比較対象と同じだけの努力をしたのに、自分だけ手が届かなかったのであれば、見えないところでその人は努力していたり、経験を積んでいたり失敗をしていたりするのではないでしょうか。
 
 もし、それでなく本当に同じ努力で片方がつかみ、もう片方がつかみ損ねたのであったとしても、つかんだことは本当に良かったことと言えるのでしょうか。それが入試試験なのであれば、ギリギリだったということなのですから、入った後に努力をしなければ気づけば、つかみ損ねた人と同じスタートラインに翌年立たなくてはならないと言うことになりかねません。
 
 人の人生に一時決算はあろうとも、損益分岐点は無いのですから人は常に努力せねばなりません。特に日本人は先進国の国民です。努力を怠れば、先進国という名の資本金が高い分だけ、努力をしなければ落ちるところまで落ちてしまいます。
 
 ただ、そう考えていても、何かに向けて一心不乱に努力する人を見ると羨ましくなります。
 私の当面の目標は、その努力を向ける先を定めることです。受験のような小さな目標ではなく。将来の夢という大きな目標を明確に定め。それに向かって努力するのが私の夢です。
 
 自分で、自分の人生を、自分なりに「よかったな」と思えるように。
 
 そう、私であれば、最後には↓のゴーギャンの画題に自分なりの答えを見つけられれば良いと思います。

われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか

難しいとはおもいますが、目標は高く持たないと。

 さて、こんな駄文を書いていると、一時間も経ってしまいました。なんて…私の人生の一時決算まで、一年を切って少したるんでいる自分を引き締めるために書いたのかもしれません。だけど、上のような考え方を自分が持っている限り。私は自分が挫けずにがんばれると思います。衝動に任せて文を綴ってみるのも良いかもしれませんね。