パソコン関係の試験の存在意義

「この変化の早い業界で、一回合格すれば一生再受験する必要もない情報処理技術者試験に何の意味があるのか」


私は、この問いに対してこう答えます。そもそも、試験とは何の為にあるのでしょうか?


レベルの定義、目標の一つ


 おそらく、この二つ以外無いと思います。そして、私はこう考えます。情報処理技術者試験の示すものは、できる!と言う証明としての意味よりも、一定のレベルまで達することができるだけのパソコンに関する理解力を備える。と言うことを示しているのでは無いでしょうか?”変化の早い業界で、一回合格すれば一生受験する必要がない”確かにその通りです、しかしこう言い換えて見てください”一定のレベルまで過去に達していた場合、一からやるよりも遙かに速いスピードで関連知識や能力を備えることができる”これは、すべてにおいて言えることなのではないでしょうか?パソコンに関して、最も高い壁はなんですか?”はじめの一歩”です。パソコンに慣れてしまえば、新しいアプリケーションでも基本的な機能ぐらいは直感で扱えますし、追加機能を学ぶのは簡単です。何か勘違いをしていませんか?存在意義は個人個人の主観です。しかし、私は自分の主観をこの様に示しています。逆に言えば、明確に区切りをつけられないから、国家資格ではなく国家認定試験なのでしょう。私には、この問いは単に自分がとっていないからの言い訳にしか聞こえませんがどうでしょうか?


 ここでは、シスアドに限るが、確かにエンドユーザーコンピューティングはシスアドで扱う最大の単位ではあるが、必要なのは最新の知識ではない、情報をという見えないものを扱う方法に関する事に関する試験であって、コンピュータの操作方法に関する試験では無い。扱う機械が時代の流れで変わろうとも、扱う方法にまで及ぼすような、技術的な革新は見られない。本質的に変わらないのだから、付加項目として受験時に存在する最新技術の知識を必要とするだけである。だから、国家認定になっているのでは無いだろうか?過去問を見てほしい・・・・


 パソコン検定ではない、”情報処理”技術者試験だパソコンはあくまでも、”現代において情報処理をするに当たりほぼ欠かすことのできない道具”